比叡山の一つ目小僧

もう50年位前のことになる。比叡山に登った。

でも、その証となるは、たった一つ覚えていること、一つ目小僧のお堂の記憶丈である。それ以外、多分車で行った事を除き、何時、誰と、比叡山の何処へ、等一切思い出せない。

比叡おろしの寒いときであるはずは無いので、冬では無かったと思う。
でも、古い記憶とは時間と共に内容が自分に都合良く変遷していくし、真逆の記憶に変遷する事もあるらしい。
○記憶を辿ると


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あの一つ目小僧は 円頂のお地蔵さん。
比叡山の普通の道だった。人気の無い道を辿って、ふと何気なく古い小さなお堂を見上げた時、軒下に掲げられた額縁が見えた。なんや、描かれているのは普通のお地蔵さん、最初はそう見えた。だがこの目の焦点はその絵の一部に、ほんの数秒だが固まっていた。そう、目が一つだった。

 

○その後何度か図書館、ネットなどで調べてみたがそんな記述は出てこなかった。多分、あれは自分の見間違い、比叡山の霊にでも騙されたのかも知れない。
そんな訳で永らくその記憶は封印し、殆ど忘れかけていた。

今回、9月7日の友人二人との比叡山旅行も、実は途中まで、この一つ目小僧を意識したことはなかった。

 

天気は実に悪かった。9月4日に関西を襲った台風21号の余波が続いていた。坂本ケーブルに乗る前から雨は本降りになった。歴史の重みのあるケーブルカー、トンネルは、異界への隧道のようにも思えた。地下水が滴り落ちてくる。周りは深い水蒸気に包まれて視界がきかない。当初の予定より2時間遅れで着いた頂上駅、先に着いていた二人の友人が出迎えてくれた。駅には、旅行者用に大きな傘が貸し出し用として備えられていた。

西の叡山ロープウエイは、今回の台風の余波で止まっている。そのせいか最初予定していた鶴喜そばの食堂は閉まっている。
運命のいたずらは、この時から始まっていた。

 

○鶴喜そばを求めて、大駐車場のある一隅会館へ。

台風の後とは言え、結構の人だかりであっる。そば定食を890円でいただいた。結構なボリュームで、満腹。愛想のない店であったが、だが一転して建物半分を占める土産物店は違っていた。


ここで、ふと過去に封印した“一つ目小僧”が脳裏をよぎった。そう、ここで聞かねば永遠に謎となってしまう。聞くは一時の勇気、聞かぬは永代の禍根を残す。
土産物売り場の店員さんに聞いてみた。
「この辺で、一つ目小僧のお堂て、聞いたこと無いですよね」

ついつい弱気な聞き方になってしまった。
すると以外にも、

「ああ、一つ目小僧ですね、確か聞いたことが有ったなあ、、えええと」
「そう、確か、比叡山の七不思議に出てたんちゃうかな、、」
と言って売り物の小冊子を調べてくれた。が無い。
中に居た女性店員が、「向かいの二宮写真さんが知ってると思うよ」
と言って、わざわざ出向いてくれたのだが、不在だった。
まあ、仕方がない、あると分かっただけでも大収穫。
丁重にお礼を言って、次の目的地、西塔に向かった。

 

○途中、結構ハードな道のりであった。雨に加えて石の階段は、土の部分が大雨で流されて40㎝もの段差となっているところが多々ありちょっとした登山である。30分以上も歩いた。
雨に煙る釈迦堂


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何と厳かな世界。お相撲さんが詣でに来られていた。この後、更に瑠璃堂に向かった。釈迦堂の左手から山道を抜けて車の通りに出た。信長の比叡山攻めで唯一残ったとされるお堂である。
残念ながらこの奥比叡ドライブウェイに出たあたりで、引き返すことにっした。天気は最悪で、更に暗い山道に入っていくのが何となく憚れた。途中で戻るのも又勇気である。
余談だが、もし瑠璃堂に行っていたら、後のハプニングは無かったかも。結果的に、だが。

 

奥比叡ドライブウェイから引き返し1時間ほどして又、一隅会館に差し掛かった。ここを通らないとケーブルカーの駅に行けないのである。
二人の友人が言った。
「喉が渇いた、ビールでも飲んでいこうや!」
「それに、ひょっとしたら“一つ目、、”、何か新しい情報があるやも」

「そうや、ありえるなあ、」

と言いながら店に入って行ったのだが、思いがけず店の人の方から笑いながら声を掛けてくれた。
「分かりましたよ、根本中堂の裏に総持坊(そうじぼう)と言うお堂が有って、その軒下に一つ目小僧の絵があるらしいですよ」と。
実に美味しいビールを飲みほして、丁寧にお礼を言って我々は根本中堂に向かった。幸い雨は止んでいる。裏への道が分からなかったので、途中 宮司さんに聞いた。
今、根本中堂は大修理中で大きな工事用のシートで全体がすっぽりと覆われていた。裏へは、細い工事現場の脇を抜けて行った。
急に人気のない普通の田舎町に出る。そして何の変哲もないお堂が道路際にあった。


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切妻のお堂で真ん中のみ唐破風になっていて、破風の下、入り口の引き戸の上にその絵は掛かっていた。

 

○随分と退色して風化しており、ぱっと見では見過ごしてしまいそうな、そんないで立ちの全く目立たない僧の絵。額縁は無く板に描かれた彩色画であった。


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でもよく見ると、紛れもなく一つ目の僧である。
思いがけなく、目丈でなく足も一本、そしてお地蔵さんではなく、老いた僧の立像であった。
後で調べたところ、平安時代比叡山の僧侶の規律が乱れ山を下りて遊興に耽るものが多数いた。それを疎ましく思いつつ世を去った高僧が、夜な夜な一つ目、一本足の妖怪となって、彼らの枕元に現れ、僧の規律を諭した、との言い伝えがあるらしい。。

絵に手を合わせ、写真を撮って総持坊を後にした。
ケーブルカーの時間が迫っていた。満員のケーブルカー、座れなかったが、とにかく収穫の多い一日であった。
ケーブルカーの坂本駅からJRの比叡山坂本まで、歩くと結構距離がある。
この日の歩数計は軽く2万歩を超えていた。

 

○あの一つ目小僧の絵、更に月日がたつと、恐らく一つ目が確認できないくらい退色が進むと思われた。修復が必要なら既に行われているはずである。

でも大自然に委ねて劣化していくのも悪くはないとも思った。何故か、残念ながらどう言って表現したら良いのか分からないが。

最後に、一隅会館の皆さん、ご親切に調べていただき、本当にありがとうございました。