阿伏兎観音 人々の祈り

阿伏兎観音 2018年6月  絶壁のお堂に航海の安全と来世への橋渡しを祈る人々

2013年8月21日、念願の阿伏兎観音に行く機会を得た。 沼隈半島の千年町から歩いて海岸に出、2キロほど海沿いの景色の良い道を行くと小奇麗な旅館街に入る。門前町かも知れない。突当りの海岸に沿った石段を上がると門をくぐってお寺の境内に入る。 盤台寺(ばんだいじ)。案内によると、開基は平安時代で十一面観音をご本尊とし戦国時代に有名な毛利元就が再建したとある。小高い岬の突端に、観音さんへの入り口がある。拝観料を払って、狭い通路をかき分けて本堂に至る。堂内の朱塗りの階段を上がると廻廊になっている観音堂に至り、見事な瀬戸内海の眺望が広がる。ぐるっと回ると眼下に阿伏兎の瀬戸、遠くに燧灘(ひうちなだ)が絶景となって目に飛び込む。

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廻廊の床は外側にかなり傾斜していて、恐らく波の打ち込み等に配慮しているのであろう。 その廻廊の際から北側に下る岩盤を利用した石段があり、かなり波打ち際に近いところまで下って行ける。 見上げれば、あの広重の描いた六十余州名所図会の備後阿伏門観音堂の絵構図が見事に浮かび上がった。 以前展覧会で1853年に広重はこの絵を描いたとあった。それが一体どこから描いたのか、或は瀬戸内海を行き来する船からか、等と推察していたが、そうでは無かったのである。 実は、それを確かめるのが今回の訪問の一つの目的であった。 観音堂を見上げる突端は、小高い巨岩で、石の祠が丁度影を作ってくれている。 スケッチをする場所をここに定める。あまりに天気が良く、他に影のある場所が無い。 写真は、別に陰ひなたは苦痛にならないが、スケッチは、一度居を構えると一時間はそこで踏んばらなければならない。どこで描くかは大きな問題であり、絵の成否にも影響する。 或は、今日のよう絵の構図よりも優先される事もある。

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さて、この阿伏兎の瀬戸であるが、水路は幅500メートル位、潮流は瀬戸と言うだけあってかなり速そうだが、数千トンの船はかなり通っている。来る途中の旅館街の沖を通る船は、この観音堂をいつも見ながら航行しているのである。何とも羨ましい限り。 願望として、将来、もしこれら瀬戸内海の景勝地を東西に巡る一万トンくらいのクルーズ船が実現したら、是非とも航路にこの阿伏兎の瀬戸を加えるべきであろう。

だが他方、昔、この荒々しい瀬戸を小さな舟で行きかった人々は、どんな思いで絶壁の上の観音堂を見上げたのであろうか? 航海の安全を祈願したのは当然として、来世への橋渡しとしての観音さんに願をかけたのではないか、ふと今この瀬戸とお堂をスケッチしていた自分を思うに、そんな光景が見えてきた。