似島 原爆、もう一人の証人

宇品港沖合の似島、戦争の歴史と共に
2018年6月 追記
似島は是非もう一度訪れたい島の一つです。と言うのも2015年には島の西側の港しか行っていないからです。広島湾には大戦の傷跡が今でも多数残っており、保存されている訳ですが、この島もしかりです。平和を考えるための施設が島の東側にあります。原爆で被災された沢山の方が治療のため運び込まれた島。そして、その甲斐なく亡くなられた方の慰霊碑も存在します。

2013年4月27日
宇品港(広島港とも言う)の3キロ沖合に浮かぶ似島(にのしま)に渡りました。この港から見ると三角形で、安芸の小富士ともいわれているそうです。もっともほかの角度から見ると何の特徴もない普通の島になってしまうのですが。


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船で僅か20分のミニミニクルーズ。
おりしも当日は島の清掃に参加するボランティアの若い女性たちで船は結構満員。あとはリュック姿や自転車で島へ渡る人などさまざまでした。島の人口は千人余り、でも広島市に近いので、身近なリゾートとして旅館や公園などよく整備されています。島は一応広島市内となっています。
他の島々は殆どが極端な人口減少に悩んでいますが、ここは少し恵まれているのかな、と思いました。
似島の山、安芸小富士は標高278メートル、頂上は南側に芸予諸島を一望できる三百六十度の見晴らしの良い展望台になっているそうで、又高さも手ごろなので登る人も多いようです。
フェリー、第十こふじ は片道380円、乗船時に愛想の良い係員に現金で直接支払います。船内はきれいで喫煙室にも大型の窓が有り、快適なソファーが備えられていて僅か二十分の船旅には勿体無いような設備でした。
尚、船は完全な双頭型で、347総トンです。若し、車両甲板が密閉されていたら、恐らく八百総トン位にはなるでしょうか。ちなみに、国際総トン数では密閉していない空間も総トン数に含みます。
即ち日本の中古フェリーがフィリピン等に輸出されると、殆ど船様が変わらないのに総トン数丈が倍近くになるのはその為です。船に限らず大きさ等の表記方法はややこしいですね。
十二時半の出航でしたが、港の灯台を出て暫くすると船の後方に意外な船を見つけました。イギリスの小型クルーズ船、CALEDONIAN SKY(4200総トン)です。どうやら同時刻に港の東側の一万トンバースを出航したらしく、昼食時と言う事もあり、後部のリドデッキには結構な人の群れが見えました。今の基準では小さな船ですが、さすがに欧米のクルーズシップと言う雰囲気が漂っていました。
船はこちらの船のウエーキを横切って宮島方面に舵を取っていたようです。
厳島神社海上の大鳥居でも見ながら、次の目的地に向かったのでしょうか?


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スケッチの背景は広島市街です。
さて、似島ですが、船が着くと乗客たちはあっと言う間に雲散霧消してしまい、つかの間の喧騒がすぐに閑散とした小さな島嶼の港に戻ってしまいました。
広島港で頂いた島のガイドのパンフを見ながら、先ずは昼食と思い、みなと食堂と書かれた路地の小さな、如何にも歴史がありそうな店に入りました。八十位?のおばあさんが一人でテレビを見ながら食事中。昔は二人でやっていてそれなりにお客さんが入ったそうですが、今は閑散としているそうです。そういえば、さっきフェリーを降りた人たちは一体何処で食事をしているのかな、とふと思いました。
瓶ビールと丼物をいただき、いい気持ちになったところで、港の岸壁からスケッチをしました。


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画面右は、係留されている第八こふじ です。船齢二十五年ほどの船で、今はピンチヒッターとして使われているものと思われます。
正面の山が安芸小富士です。

広島港から見ると三角形ですが、前述したように他の角度から見ると普通の山になってしまいます。
帰りのフェリーまで時間があったので、港の正面にある喫茶店に入りました。こちらは六十前後の若ぶりのおじさんが一人でやっているカラオケ喫茶です。
以前は、島で鉄工所を経営されていたそうです。聞くところによると、其のころはこの島が砂利の積出港として経済的に潤っており、砂利運搬船の修理などで、鉄工所の仕事も成り立っていたとか。その後、需要が関西から関東に移り、多くが木更津の方に船ごと引っ越したと言う事です。
現在、毎日曜には島のおばさん達が集まってカラオケで楽しまれていると聞き、何となくほっとした気持ちになりました。
この店で、コーヒーとお酒をいただき、似島での予定は終了です。
戦中戦後は歴史に翻弄され、必ずしも平穏な島では無かったらしいですが、今は静かな平和な佇まいでした。