恵美須町交差点で

恵美須町で堺の名酒、千利休、こんなところにこんなお酒が!
2018年6月追記
先ず、18日の地震でお亡くなりになられましたご遺族の方々に謹んでお悔やみを申し上げます。又、被災されました方々には一刻も早く元の生活に戻れますよう心より願っております。

以下、本文です。
外人客であふれ返る大阪ミナミ。それを支えるのは地元の人たち、とその歴史、文化。一般的にミナミと言っても一様でない。難波界隈では町はある程度整然としている。だが、心斎橋、道頓堀、新世界 と順に秩序が変わっていく。似ているようだが歴史文化が少しづつ異なっていく。
なお、後述の主人公の居酒屋、結局店名は分からず。勿論、WEB検索しても全く出てこなかった。
来年の新年会、又行ってみよう。若し未だ有れば、の前提付きで。
以前、宮本常一氏の著書の中で、経済は文化の下僕でなければならない、と書かれていた。好きな言葉である。今、大阪はそれを実践しているのかもしれない。
2018年4月9日(月)本文
ここは恵美須町交差点の角にへばりつく様に小さな小さな、店の名もどこに書いてあるのか、入り口がどこに有るのかも良く分からないミニ居酒屋である。阪堺線駅舎の角にある。
歩道に少しはみ出して外には粗末な傾いたテントと、その下に歪んだテーブルとパイプ椅子が乱雑に置かれている。俗にいうオープンカフェであるが?
朝晩は未だ肌寒いのか古い達磨の石油ストーブも置いてある。通天閣本通り入口の向かいにその店はあった。このような店には入りたくなる。
JR新今宮駅東出口より堺筋を歩いてここまで来た。戎橋での新年会、と言っても4月だが、その時間には少し早い。ので、どこか一杯飲めるところは、と、きょろきょろしていたら目についたのがこのスタンドバー。何せドアと言っても幅50センチ前後のぼろいもので、どう見ても勝手口にしか見えない。尤も他国言語のメニューが至る所にベタベタ貼ってあるので、それだけがこの場所の意味を伝えていた。午後の5時頃の事である。
勝手口のようなドアを開けると、細長い店内で若い店主が窓のふき掃除をしている。カウンターが奥に伸びていて、人が座ったらまずその後ろを通り抜けるのは不可能と思われた。
「こちら、お酒いただけます、」と一応聞くと、笑いながら、「ええ、何でもありますよ、何しはります?」 との事で。
「じゃあ、何でもええから熱燗で一本もらえます、外でやで、外のテーブルに持ってきて!」
この場合、店内のカウンター、という選択肢はゼロだった。何時に開店かは知らないが、雰囲気は開店前。
外の壊れそうなパイプ椅子に足元に気をつけながら座る。前に傾いたテーブル、そして左足元にストーブ。
店主が お盆に乗せて銚子、おちょこ、つまみ そして灰皿を持ってきた。かれが誇らしげに言った。
「これ、千利休ですよ、堺の泉酒造の。ええですよ、じゃ ごゆっくり!」
酒をちびりちびり頂きながら、通天閣本通り入口の雑多な人の群れを観察する。外人、西洋人、東洋人が忙しく行き来している。それに交じってこちらも多様な日本人。恵美須町の交差点、警官が信号無視を見張っている。
自転車、歩行者は赤信号でも皆渡っている。外人さん達もそれについて渡っている。この辺、下町、警官がそれを咎める風もない。
小さなスケッチを走り描きする

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昔、南京の交差点で、歩行者横断マナーキャンペーンが実施されていた時の事。中心大酒店近くの交差点で、警官が自転車のおばさんに説教していた。
多分、信号を守りなさい、と言っているのか。それに対して、おばさんが口答えしている。そして面白いのは次に起こった光景である。警官の背中をすりぬけて若いアベックが交差点を渡って行った。勿論、赤信号で。
あの時の光景を、ふとこの恵美須町交差点に重ね合わせた。
「おんなじや、、」と感慨深く思った。ここは新世界の入り口、恵美須町
阪堺電車のターミナルでもある。難波ではない。歩いて10分で難波である。