比叡山の一つ目小僧

もう50年位前のことになる。比叡山に登った。

でも、その証となるは、たった一つ覚えていること、一つ目小僧のお堂の記憶丈である。それ以外、多分車で行った事を除き、何時、誰と、比叡山の何処へ、等一切思い出せない。

比叡おろしの寒いときであるはずは無いので、冬では無かったと思う。
でも、古い記憶とは時間と共に内容が自分に都合良く変遷していくし、真逆の記憶に変遷する事もあるらしい。
○記憶を辿ると


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あの一つ目小僧は 円頂のお地蔵さん。
比叡山の普通の道だった。人気の無い道を辿って、ふと何気なく古い小さなお堂を見上げた時、軒下に掲げられた額縁が見えた。なんや、描かれているのは普通のお地蔵さん、最初はそう見えた。だがこの目の焦点はその絵の一部に、ほんの数秒だが固まっていた。そう、目が一つだった。

 

○その後何度か図書館、ネットなどで調べてみたがそんな記述は出てこなかった。多分、あれは自分の見間違い、比叡山の霊にでも騙されたのかも知れない。
そんな訳で永らくその記憶は封印し、殆ど忘れかけていた。

今回、9月7日の友人二人との比叡山旅行も、実は途中まで、この一つ目小僧を意識したことはなかった。

 

天気は実に悪かった。9月4日に関西を襲った台風21号の余波が続いていた。坂本ケーブルに乗る前から雨は本降りになった。歴史の重みのあるケーブルカー、トンネルは、異界への隧道のようにも思えた。地下水が滴り落ちてくる。周りは深い水蒸気に包まれて視界がきかない。当初の予定より2時間遅れで着いた頂上駅、先に着いていた二人の友人が出迎えてくれた。駅には、旅行者用に大きな傘が貸し出し用として備えられていた。

西の叡山ロープウエイは、今回の台風の余波で止まっている。そのせいか最初予定していた鶴喜そばの食堂は閉まっている。
運命のいたずらは、この時から始まっていた。

 

○鶴喜そばを求めて、大駐車場のある一隅会館へ。

台風の後とは言え、結構の人だかりであっる。そば定食を890円でいただいた。結構なボリュームで、満腹。愛想のない店であったが、だが一転して建物半分を占める土産物店は違っていた。


ここで、ふと過去に封印した“一つ目小僧”が脳裏をよぎった。そう、ここで聞かねば永遠に謎となってしまう。聞くは一時の勇気、聞かぬは永代の禍根を残す。
土産物売り場の店員さんに聞いてみた。
「この辺で、一つ目小僧のお堂て、聞いたこと無いですよね」

ついつい弱気な聞き方になってしまった。
すると以外にも、

「ああ、一つ目小僧ですね、確か聞いたことが有ったなあ、、えええと」
「そう、確か、比叡山の七不思議に出てたんちゃうかな、、」
と言って売り物の小冊子を調べてくれた。が無い。
中に居た女性店員が、「向かいの二宮写真さんが知ってると思うよ」
と言って、わざわざ出向いてくれたのだが、不在だった。
まあ、仕方がない、あると分かっただけでも大収穫。
丁重にお礼を言って、次の目的地、西塔に向かった。

 

○途中、結構ハードな道のりであった。雨に加えて石の階段は、土の部分が大雨で流されて40㎝もの段差となっているところが多々ありちょっとした登山である。30分以上も歩いた。
雨に煙る釈迦堂


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何と厳かな世界。お相撲さんが詣でに来られていた。この後、更に瑠璃堂に向かった。釈迦堂の左手から山道を抜けて車の通りに出た。信長の比叡山攻めで唯一残ったとされるお堂である。
残念ながらこの奥比叡ドライブウェイに出たあたりで、引き返すことにっした。天気は最悪で、更に暗い山道に入っていくのが何となく憚れた。途中で戻るのも又勇気である。
余談だが、もし瑠璃堂に行っていたら、後のハプニングは無かったかも。結果的に、だが。

 

奥比叡ドライブウェイから引き返し1時間ほどして又、一隅会館に差し掛かった。ここを通らないとケーブルカーの駅に行けないのである。
二人の友人が言った。
「喉が渇いた、ビールでも飲んでいこうや!」
「それに、ひょっとしたら“一つ目、、”、何か新しい情報があるやも」

「そうや、ありえるなあ、」

と言いながら店に入って行ったのだが、思いがけず店の人の方から笑いながら声を掛けてくれた。
「分かりましたよ、根本中堂の裏に総持坊(そうじぼう)と言うお堂が有って、その軒下に一つ目小僧の絵があるらしいですよ」と。
実に美味しいビールを飲みほして、丁寧にお礼を言って我々は根本中堂に向かった。幸い雨は止んでいる。裏への道が分からなかったので、途中 宮司さんに聞いた。
今、根本中堂は大修理中で大きな工事用のシートで全体がすっぽりと覆われていた。裏へは、細い工事現場の脇を抜けて行った。
急に人気のない普通の田舎町に出る。そして何の変哲もないお堂が道路際にあった。


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切妻のお堂で真ん中のみ唐破風になっていて、破風の下、入り口の引き戸の上にその絵は掛かっていた。

 

○随分と退色して風化しており、ぱっと見では見過ごしてしまいそうな、そんないで立ちの全く目立たない僧の絵。額縁は無く板に描かれた彩色画であった。


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でもよく見ると、紛れもなく一つ目の僧である。
思いがけなく、目丈でなく足も一本、そしてお地蔵さんではなく、老いた僧の立像であった。
後で調べたところ、平安時代比叡山の僧侶の規律が乱れ山を下りて遊興に耽るものが多数いた。それを疎ましく思いつつ世を去った高僧が、夜な夜な一つ目、一本足の妖怪となって、彼らの枕元に現れ、僧の規律を諭した、との言い伝えがあるらしい。。

絵に手を合わせ、写真を撮って総持坊を後にした。
ケーブルカーの時間が迫っていた。満員のケーブルカー、座れなかったが、とにかく収穫の多い一日であった。
ケーブルカーの坂本駅からJRの比叡山坂本まで、歩くと結構距離がある。
この日の歩数計は軽く2万歩を超えていた。

 

○あの一つ目小僧の絵、更に月日がたつと、恐らく一つ目が確認できないくらい退色が進むと思われた。修復が必要なら既に行われているはずである。

でも大自然に委ねて劣化していくのも悪くはないとも思った。何故か、残念ながらどう言って表現したら良いのか分からないが。

最後に、一隅会館の皆さん、ご親切に調べていただき、本当にありがとうございました。

フェリー、ホテルの代替を兼ねて

フェリー、ホテル替わりの手段として
この様な旅行者が昨今増えているのかもしれない。

夕方、九州を出港、早朝に大阪、神戸に着く。その間の楽しみは、夕食、入浴、そしてデッキでの散策位か。僅か1泊のショートクルーズである。

○船上の賑わいについて

午後6時半の開店を前に、レストランの入り口は長蛇の列。一人旅には少しタイミングが悪い。8時半頃に行くと、だいぶ空いていた。既に食事を終えて、歓談中の客が多数残っている。今日のビュフェは9時まで、レストランは10時でクローズとなる。


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9時前ともなると、後片付けでキャビンアテンダントが忙しくトレイを持って歩いている。限られたスタッフの人数なので、殆どが仕事を掛け持ちしている。


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夕食に、灘の桜正宗等をいただいた。


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○時間軸を、広島出発時に戻そう。

何故、ホテル替わりのフェリーなのか、である。

旅程の関係で、大阪で前泊する必要があったが、予約できなかった。昨今、大阪のホテル事情はインバウンドの関係できわめてタイトである。
発想を変えて、急がば回れ、方式にした。

門司港FTからは、神戸、南港、そして泉大津への船がある。


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今回、自分がとった方法は神戸行であった。ネット割で2等シングルが7240円。元々船好の自分としては何の抵抗もなくそれを選択した。計算すると鉄道で大阪へ行きホテルに泊まるよりも格安であった。

9月初めの旅行、7月4日の豪雨災害の影響が未だに複雑に絡む。
山陽本線は7月6日の豪雨災害で、東広島市は東西で分断されていた。不通区間があり代替バス等で、通常より2時間近く余計にかかって小倉に着いた。
それに追い打ちを掛けたのが9月4日の台風21号であった。
台風21号で阪神地方、及び大阪湾沿いは高潮の大水害。その二日後、9月6日の出発であった。フェリー会社のホームページを車中で見ながらの小倉への道中。ポートアイランドのコンテナが高潮で流出して入港禁止、行先は神戸港から泉大津港に変更となっていた。

小倉駅で無料バスに乗り、新門司港へ。

5時過ぎに乗船。

岸壁を離れるフェリーから神戸行き専用のターミナルを見る。中々、こったデザインである。天気は悪いなりに魅力的。


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結構のお客さんである。ツアー客が多い。そして女性客が圧倒的に多い。皆、行先が変わったにも関わらず結構旅行を満喫しているように見えた。尤も、ツアーの添乗員は大変であろうが。何せ行先が変わったんやから。
外に出たが猛烈な風である。雨も混じっている。

 

○味気ないフェリーのデッキ

大体、この種のフェリーは、客が外の空気を吸う事に全く配慮されていない。屋根もないし側壁もない。船内のガラス越しでしか。残念な事である。

前回、記述した小豆島のブルーライン、あの船のような配慮が全くない。

(参考1)ブルーラインのデッキ
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(参考2)本船のデッキf:id:zhongjpn:20181005142347j:image

 

○二等シングルの部屋
ところで、わが船室2等シングル、7240円と言う個室のグレードであるが、これはカプセルホテルタイプではなく完全な個室であり、カードキーのドア付である。別名、ドライバーズルームとも言う。
ベッドとテーブル、ライトとコンセントそしてスリッパと浴衣。だが、一人旅には十分。レストランがあり、大浴場もある。カプセルの様な圧迫感は全くない。


○大浴場
大きな窓沿いに結構広い湯舟が二つ。片方はジェットバスで、そちらに入る。ゆったりとした気分になり疲れが癒される。客はまばら。でも大きな窓、折角あっても殆どが夜の航海なので、全く役に立たない。何と勿体ない。これは、九州と阪神を結ぶトラック輸送フェリーの宿命か。夕方出て、朝に着く。

 

○翌朝も雨混じりの強風で、殆どデッキには出なかった。否、出られなかった。到着時間は元々7時過ぎに神戸着が、9時に泉大津港着となった。

こちら泉南は、関空を始め台風の甚大な被害のあった地域である。南海泉大津駅へのバスの車窓から、倒れた電柱、街路樹、傾いたままの停電の信号機、折れ曲がったテレビアンテナ等々。

一般家庭での停電もかなり続いていたそうである。 

 

 

小豆島、草壁港のきれいなフェリー

瀬戸内海の島々を結ぶ、無数のフェリー、大小様々な形の船がミズスマシのように各港を結んでいる。 

瀬戸内海最大の離島、小豆島には本土、四国、近くの離島を結ぶ1000総トン前後のフェリーが行き交い、楽しませてくれている。もう5年になるが神戸からジャンボフェリーで坂手港、そしてバスを乗り継いで草壁港に行ったときのメモとスケッチである。背景は寒霞渓。わずか15分の停泊なので、船はスクリューを前進で回したまま。


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尚、下記のメモには無いが、港には必ずと言って良いほど有る大衆食堂、ここもご多分に漏れず桟橋の際に小さな食堂があった。情報を得るには最適の場所。若い人が経営しているケースはまず無い。こちらも70位の女将さんが一人できりもみをしていた。

 


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食堂前の道路を挟んで浮き桟橋が海に向かって張り出している。小型船用で、瀬戸内海をヨットで旅する外国人が寄ってくれた話や、横山やすしが来てくれたことなど、話してくれた。壁にはそれらの写真や色紙がびっしりと貼ってあった。この食堂の女将さんは桟橋を発着する船の管理もしているそうである。


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売り上げに貢献するため、食事丈でなく、お酒を熱燗で2合ほどいただいた。まあ、これは島を訪れたときの一つの楽しみでもある。

しかし、島を取り巻く環境は厳しい。人口3万人以上と長らく思っていたが、データで見ると28000人と出ていた。離島振興法の適用も今は受けているらしい。移住者、Iターンの方も多くおられるらしいが、それ以上に自然減、および出て行く人が多いというのは、何処の有人島も同じである。離島振興法が機能していないのかも知れない。国がお金を出せば済む、と言う問題では無い。もっと地域の事情を加味した法律が必要である。下目目線の法律になっていないかな?

以上 2018年8月24日追記

 

2013年9月22日 小豆島ミニクルーズ
草壁港に着いたときは、フェリーはいなかった。ブルーラインの停泊は僅か十五分、着いたら直ぐに描かないと出港してしまう。時間の不足を補うため、あらかじめ周辺のスケッチをしておき、船を埋め込むと言う作戦をたてた。しかしさすがに時間の制約が大きく、正直かなり焦って船の形を描きこんだ。昼過ぎの のどかな、でも少し暑すぎる小さな港での昼下がりの出来事である。


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この日、九月二十二日朝は、連休の中日、沢山の乗客が神戸三宮駅に近いジャンボフェリーの乗り場で列を作っていた。八時発の小豆島経由高松行、りつりん2である。乗船して驚いたのは沢山のござが船会社により準備されていたこと。出港時にはいたるところ人で溢れ、通路やホールの床にまで所狭しと家族ずれがござを敷いて時間を過ごしていた。

 


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折角の船旅なのだからデッキで瀬戸内海の景色でも見れば時間はつぶせるのに、と船の好きなものは思うのだが。

天気は良く金波銀波の海面はまぶしい。だが霞で見通しがきかず、明石海峡大橋を通過後、播磨灘に入ると殆ど何も見えない状態に。

二時間が過ぎると険しい山々が連なる小豆島が真正面にぼんやりと見えだす。やがて三時間の航海が終わり坂手港に入港した。坂手港よりバスで約十分、草壁港で降りる。

この港からは内海(うちのみ)フェリーの船が出入りしている。小奇麗なターミナルがあり、エレガントなフェリー、ブルーラインが高松とを結んでいる。内海は寒霞渓の真下に見える町でもある。その寒霞渓の一部が見えるスポットを探して小さな港のスケッチを描いたのは前述の通り。

スケッチ後、2時間以上時間を調整して、次の便で高松へ向かった。船は千総トン、長さ八十五メートル、ジャンボフェリーと比べると小ぶりだが、なかなかしゃれたデザインの船で、最上階は周囲ガラス張りのオープンデッキになっていて西欧のクルーズ船などにみられるリドデッキ風になっている。又、その下の客室からは中庭からの階段で行き来できるようになっている。オープンデッキの更に上には、展望デッキが備えられていた。


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わずか一時間の高松へのクルーズ。勿体ないような設備の船である。途中、去っていく小豆島の景色は勿論、進行方向の左側に近づいてくる八栗山の険しい絶壁、それと対照的な屋島の台形の山々が迫ってくる。途中、反航するジャンボフェリー、りつりん2に出会った。


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僕が神戸から乗った船である。高松港が近づくにつれ急に色々なフェリーが目につきだした。小豆島各港、塩飽諸島やその他付近の島嶼を結ぶ船が頻繁に出入りし、さすがに高松港だと思う。本四架橋の整備で随分と本州と四国を結ぶ船は減ったが、まだまだあちこちで航路は健在である。さて、次はどのルートの港をゲットしようか、等と考えながら夕暮れの高松港で下船した。

 

走島、瀬戸内海のちょっと変わった島

走島(はしりじま)と言うのは広島県福山市鞆の浦の沖合6キロに浮かぶ離島です。
人口はどんどん減って今頃は500人を切っているかもしれない。30年前と較べ半減したと言う。
それでも5年前に訪れたときは未だ幼稚園、小学校、そして中学校が有ったらしいが、いずれも2015年には廃校になった。在校生がいなくなったかららしい。中学校の壁には “きれいな海はみんなの誇り”と書かれていたそうである。
夏場は海水浴客が訪れ民宿など何軒かあるらしいが、さて今はどうなのかわからない。
元々、なぜこの島を訪れたか、と言うと、ホームページでこの島には車にナンバープレートが無い、と言うショッキングな書き込みをみて、興味をそそられたからである。

以上2018年8月16日追記

 

走島の本浦
2013年10月31日、去年就航した新しいフェリー、神勢丸に乗って燧灘に浮かぶ走島を訪れた。10時40分発走島行、11時10分着である。

 


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予想はしていたが観光地として有名な鞆の浦とは正反対の目立たない、人々の生活臭のみで、一元の旅行者向きでないことはフェリーを降りてすぐに分かった。
小さな走島汽船のプレハブの待合所、せめて何らかの地図があるものと期待したが、全く何も無い。これは行政の問題と言うより必要性が無いからであろうか? 過去に訪れた島と比べて、異様な程 案内が少ないと言う印象を受けた。
元々走島は漁業の島で、観光色は殆どない、とネットのホームページには紹介されていた、が、である。何でも実際自分の目で見なければ実感として分からない。

鞆港の切符売場横のお店の人に、お弁当は買っていったほうが好いですよ、と言われ買ったのだが、成程と思った。尤も、船中で客のおばさんに島には食堂はあるんですかね、と念のために聞いたのであるが、その時は民宿の食堂が開いているはずですよ、と言われ、ならばそこでビールでも飲めるかもしれないと期待していたのだが。

本浦に入港。防潮堤にはびっしりと海猫の群れが。合計すれば間違いなく島の人口よりも多いやろう。

次の便は十二時過ぎに入港なのでそれまで弁当を食べることにした。

10月終わりにしては結構暑い日で アア、ビールがあればなあ、と思いながら。勿論船着き場、および周辺にはビールを売っている店は無い、と言うか店というたぐいのものが無い。

さて港の突当りに荒れ果てた公園があり、とりあえず其処の東屋の椅子に座って助六弁当を食べながら作戦を考えることにした。この東屋、結構大きな屋根で日を遮るのには十分の大きさ。でも天井のへぎ板は片側が破損していて大きくだらっと垂れ下がっている。足下は雑草が生い茂り歩くときは草をよけて通らなければならない。ここは多目的広場の一角らしい。

なぜここで弁当か、と言うと、もともとは港の岸壁で、と思っていたが 先ほどフェリーが着いたとき防潮堤の上に夥しい海猫が羽を休めていて、ふとそれが脳裏をよぎったからである。弁当めがけて彼らが一斉に襲ってきたら! そう、ヒッチコックの”鳥”の世界が現実になるかも、と言う恐怖がこの場所を選ばせたのである。


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港では、スケッチを一枚必ず描くことにしている。写真も撮るが、それ丈では、自分がここに来たと言う強いメッセージが弱い、さらにこの場合、港で中心になる船が無ければならない。でもさっき乗ってきた船は既に出てしまった。ほかにこの港にはめぼしい船は無い。方法は一つ、次に入ってくるフェリーを待つしかない。即ち次のフェリーでは帰れないということを意味する。

このように、たいした絵では無いのだが、結構 忍耐、苦労と工夫が必要なのである。

十二時過ぎに防波堤の突端からスケッチを始める。
やがて十二時半初の便が入港してきた。
この新しいフェリー、昨年までの船、第35神勢丸と較べ大きいのであるが、長さが33メートルとフェリーとしてはかなり小さいので、外観が好いとは言えない。ずんぐりむっくりである。個人的には旅客船であった前の船のほうが好きである。煙突は前の船を踏襲していて緑色、整流フィンがついている。船内は完全にバリアフリーで洗面所も車椅子対応になっていて、日常利用する島民の方たちには随分と便利になったと思う。

 


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絵の左下には、海猫が一羽描いてある。
さて、スケッチは一時過ぎには終わり、次のフェリーまで二時間以上あるのでとにかくぶらぶらすることにした。
途中、カラオケと書いた小さな建物があったので覗いてみたら、今日は貸し切りです、と言われた。確かにお年寄り達の大きな歌声が中から賑やかに響いていた。しばらく港に沿って歩く。はずれに、さっき船内で聞いた民宿があり、外に喫茶店の看板が出ている。しめたと思ってドアを開けようとしたが開かない。別に閉店等の表示もない、が、全く人気がない。季節的に閉まっているのかな?
仕方なくそのまま海岸線に沿って歩く。バイクのお年寄りがもの珍しそうに僕をちらっとみて通り過ぎていく。たまにナンバープレートのない軽トラにも出会う。
海岸線から見る瀬戸内海の青い景色丈が、目を休めてくれる。
水島工業地帯の工場群が遥か彼方に見え、大型のタンカーや貨物船が航路上で停泊している。もっとも道中には廃業した店や旅館らしき家屋の残骸が放置され、何よりも異様なのは粗大ごみとして道路のわきに放置されたおびただしい軽トラなどの数。さらに海には廃船となって放置された沢山の漁船などの残骸。

 


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これらの景観はは誰も良いとは思っていないはず。でも現実には放置されている。子供達の故郷がこれではかわいそう。

約三十分ほど歩いて、島の反対側のキボシ手前で折り返した。流石に歩き疲れた。海水浴場らしき砂浜のあたりである。

 


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さて、本浦へ引き返したのであるが、酒屋さんがないのがどうも納得がいかない。このような漁港には、何とか商店と言う店が必ずある筈。
港の端、廃船が至る所に放置されている辺りの街角におじさんが立っていたので聞いてみた。
「どこかでビールが買えるところありませんかね?」
すると、笑顔になって「ここ」と言ってその角の家の中に案内された。中は、即ち雑貨屋さんだったのである。そしてたまたま訪ねた相手が店の主人。
「何で店の看板が無いんですかね? これじゃあ外から全く分からないやないですか?」と聞いてみると店主曰く
「そう、元々あったんですが、何年か前の台風で飛んでしまったんですわ。まあ、別に看板が無くても商売に全然影響が無いので そのままにしてるんです」とのことであった。
要は島の人しか利用しない、と言うことである。この説明が、端的にこの島の状況を示しているな、と思った。
そこで、缶ビールやワンカップを買い占めて 三時半の便まで暫し待つことになった。

フェリー乗り場への途中、機嫌の悪そうな猫が一匹歩いていた。この島には猫はあまりい無いようである。
この日天気は良く、瀬戸内海はあくまでも青く、遠くの島々も青い。
でも大きすぎる粗大ごみに覆われたこの島は何とも痛ましく思われ、何とか行政の手で回りの自然に溶け合うようなそんな環境が作れないものかと願望する。
島には小中学校があり、十数人の生徒さんがいるらしい。その子供たちの為にも故郷を誇りに思えるような島にしてあげたいものである。
フェリーから、去っていく島を見送りながらそんな事を考えた。

 


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温泉津温泉の岩窟龍

日本海に面した温泉津、1300年ほど昔、大狸が傷を癒やすためにこの地で湯浴みをしていたのが起源とも言われている。旅館のイメージキャラも狸さんである。


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ここは二度目の宿泊、前回同様 唯一露天風呂の有る温泉旅館に1泊。その露天風呂からは隣のお寺の大屋根が見える。

https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/1417/1417.html

路地を挟んで元湯である薬師湯がある。地元の人は幸せやなあ、と思った。皆さん洗面器を抱えてやってくる。創建当時の建屋がそのまま残っていて、2階はしゃれた休憩所、3階は展望テラスで無料のコーヒーのサービスまであった。


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残念ながらその日は雨だったのでテラスには出ることが出来なかった。外でビールを飲んだら美味しいやろうなあ、と思った。ここの湯温は46度で熱め。元湯はもう一つある。いずれも源泉の掛け流しらしい。

以上 2018年8月9日(木)追記

2018 5月13日 龍御前神社
山勢自ら巨龍の蟠(わだかま)るに似たる磐窟(ばんくつ)。
その腮(えら)に当たる所に建立しあるのは旧の御本殿。
神社境内の案内板にはそう記されている。
龍の喉元、逆鱗の辺りに社の後ろ半分がめり込んでいる。
それは、温泉津温泉、龍御前(たつのごぜん)神社の裏山の中腹に建立されている奥社である。
温泉街の入り口に位置するこの神社、冬場はともかく今は5月である。
樹木が生い茂っていて下からはそのお社は見えず、角度に寄り巨石が見える程度。
旅館の方には、階段があるのでそこを登って行かれると良いですよ、と言われたのだが、でも実際にはなかなか見つからず、というかイメージの階段では無かった、立派な石段かと思っていた。人に聞こうと思っても地の人は居ず、、と言う訳で仕方なく神社の端を再調査して、非常に荒れた狭い急峻な石段を見つけたのである。それは社殿の右奥と山肌にへばりつくように上に向かっている。手摺が有ったので心強い。昨日の大雨で足元は悪い、落ち葉が足元を覆って滑りやすく、虫がうるさい。10メートルほど登ると左に折れるところで急に階段がなくなり獣道のようになった。やばい感じである。蛇が出てこないかと、不安が脳裏をよぎる。立ち止まってこのまま引き返した方が良いかな、等考えて実際数歩踵を返して降りたのであるが。ここは勇気。そう勇気である。少しの勇気の無さが後で後悔の基になる、と思い直して足場に気をつけながら再び登り始めた。
随分と長い時間が過ぎたように感じた。樹木の間の山道、手摺はあるが警戒しているので触れない。手袋が有ればよかったのに、と思ったり。
急に前方が開けた。お堂が見え、左下に温泉津の街並みが生い茂る樹木の隙間から見えた。
実はここに来た目的は、温泉津の波止を小さなスケッチブックに収める事であった。旅行案内には港を見下ろす高台にこの社はある、と記されていたので。僕は兎に角、どこでも港のスケッチが好きだった。
ところが、である。港は見えなかった。樹木が繁茂しすぎている。僅かに入り江の一部が見えている丈。がっかりである。さて、どうしたものか、と思いふと天を仰いだ時に、まさにその時 ウワッと思わず声を出した。
巨龍、巨大な龍が口を開けて自分に覆いかぶさっているのである。そしてその御本殿の後ろ半分はまさに龍の腮、その磐窟に食い込んでいた。



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結果的にわが小さな勇気がこのような大きな感動を与えてくれた、と我ながら称賛した。
30分程小さな境内に居て、立ったままの姿勢で小さなスケッチを描き上げた。
白の丸い石のテーブルと椅子がおかれているが残念ながら大雨の後で濡れていて座れなかった。
下りは達成感もあってアッという間に下山できた。
下の境内で龍御前神社の案内をみる。歴史は300年ほどさかのぼる。ご神体は八陵の御神鏡、温泉津の海上安全、漁業、温泉医療の守護神と記されていた。
昔、石見銀山の銀の積出港として、波止も温泉も栄華を極めた時代が有ったのであろう。
小さな温泉街にしては、大きな寺院が狭い道路の両側に沢山ある。
まだまだ見るべきところが沢山ありそうである。

 

町の本屋さんとネット社会は共存しよう

本屋さんは、あらゆる情報が集まり、感覚的に 或いは直感的に(即ちアナログ的に)トレンドなどを閲覧できる貴重な場所である。自分のような古いタイプの人間には、かと言って立ち読み丈で帰るのは少し抵抗がある。と言う訳でネットで書籍を購入したことは無い。
それらの葛藤を解決してくれそうなアプリを発見した。

ネットで注文して、いつもの書店で支払い、受け取りを行うシステムである。早速使ってみようと思う。
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