瀬戸内海、ある島の現実


瀬戸内海、ある島の現実

3軒に1軒は空き家、その又半分は持ち主の居ない廃屋。人口は減少の一途を突き進んでいる。そんな中、空き家で崩壊寸前になっている家屋の負担が重く家主にのし掛かる。
これは現実としての負の遺産であり、結果として過疎の島を更に苦しめているのです。
瀬戸内海でも一部では芸術祭などを通して、脚光を浴びている島々もあるにはあるが、現実にはニュースになることが滅多に無い島が殆どではないでしょうか。


今回の場合は、島に住んで居られる方の話ではありません。更に深刻なケースなんです。相続して家主となっている丈で、実際には住んだことのない人の戦いなのです。
我が友人の場合を直視してみようと思います。

スケッチは、土蔵の塀、門、そして風呂場を解体した時に描いたもので、突当りが細路地、正面の家は、他の廃屋となっています。


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家主である友人は、勿論かなり高齢でおられます。随分前に亡くなられた奥さんの実家を引き継いでいる訳です。この築90年以上になろうと言う邸宅。
今、彼はこの紛れもない負の遺産を将来引き継ぐであろうご子息の為に、少しでも負担を減らそうと努力を始めました。
折しも、7月の広島を襲った豪雨災害は、元々崩壊寸前のこの空き家に更なるダメージを与えたのです。敷地の前の細路地を通る島民の方から瓦がずれた際に予測される崩落の危険性を指摘され、遂に危険部位の解体を決意するに至ったと言っておられました。
以下、自分の体験した事実を記述します。

① 準備
大八車が通れる丈の道幅の細路地、車が入る道路から50m程入って行くと、邸宅が右側にある。
路地の左側は廃屋らしい。
崩れかけた門をくぐると中は足の踏み場のないくらい瓦礫や、樹木の根っこが敷地の中散乱していた。風呂場の際には大八車の車輪が二つ立てかけてあった。直径は80センチ位、勿論木製であるが非常に重い。鋳物の軸受けと、スチールベルトのわっぱが重さの原因と思われた。


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解体前の画像左下にそれが写っている。足元は既にかなり整理されている。
当日は、主に解体するにあたっての準備作業。邪魔な樹木の伐採と、庭に散らばった瓦礫や瓦の除去作業に終始した。友人は、事前にかなりの準備をしていたらしい。

② 解体
彼の友人達、自分を含め5人がボランティアで集まった。うち一人は大工さん、一人は樹木伐採のプロである。
瓦を降ろし、壁をジャッキで引っ張って崩す作業。言葉では簡単だが、極めて厳しい作業である。降ろした瓦を運んで庭の隅に積み上げ、瓦礫を土嚢袋に詰め込む作業が非力な自分の仕事。


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画像では、既に門と土塀は解体されており、風呂場の解体作業中。
奥の一段高い納屋は、今回の予定には入っていないがいずれ解体するのや、と言っていた。左手は母屋である。右側が唯一この家に来るための細路地で、一輪車程度しか通れない。


③ 解体後の瓦礫、廃材の搬出
風呂場の外壁を一部残して、解体は取りあえず終了。
後に残った夥しい瓦礫と廃木材。そのうち廃木材を細路地を通って車道に止めてある軽トラに乗せる。


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画像は、大体最初に挿入したスケッチと同じ時刻のものである。この日は、横浜から彼のご子息がかけつけ、主な作業をこなしておられた。

車で20分程の所に、福山市のクリーンセンターがあり、其処まで運びこんでその日の作業は完了した。

④ 其の後
後日、友人とそのご子息はレンタルの2トン車で、瓦、瓦礫を袋に詰め、知り合いの業者の廃材置き場に運び込んだそうである。
これで第1ステージはほぼ終了。
一体第何ステージまでこの作業は続くのか、更に友人の戦いは続く。